外の熱狂と内の静寂

この数日の間、スポーツクラブがガラ空き状態で非常に気分がよかったのです。初めのうちはなぜか分からなかったのですが、朝から自宅で野球観戦をしている人が多かったらしいのです。

元々のファンであれ、にわかファンであれ、とにかく熱狂の日々だったのですね。久しく野球の試合を見ていない自分は、ほぼ興味がないのです。

そのことをスポーツクラブの知り合いに告げると、非国民だと言って笑われてしまいました。そう思われても仕方がないのかもしれませんね。

かつては私も野球観戦が好きでしたし、基本的にはスポーツ観戦が好きだったので、熱狂する人の気持ちはよく知っているのです。

ただ、もうそういった興味が薄れてしまっているのも事実なので、どれほど興奮させられたかを延々と聞かされるのには、閉口してしまいます。

私にとって、一度離れてしまって何とも感じなくなってしまったものは、元々本質的なものではないということです。

仮に熱狂することがあったとしても、それを引きずることはないと分かるのです。熱狂は自我のものであり、自我を強めることになるのです。

どれほど熱狂したとしても、すぐに内側にある静寂に戻ることができるのです。それはとてもありがたいことですね。