受け身でいること

「気分」と「気持ち」は似たような意味を持ちますが、微妙に異なるニュアンスがあります。

「気分」は、その瞬間の感覚や状態を表します。例えば、嬉しい気分、悲しい気分、不安な気分、興奮した気分などがあります。状況や出来事によって変化することが多く、一時的で短期的なものと考えられます。

一方、「気持ち」は、個人が抱く感情や感覚を表します。例えば、愛情、怒り、嫉妬、感謝などがあります。気分とは違い、より長期的なものであり、自分自身や他人に対する思いや考え方を表すことが多いです。

簡単に言えば、「気分」は現在の状態を表す言葉で、「気持ち」はより深い感情や思考を表す言葉ということができます。ただし、両者の違いは微妙であるため、文脈によってはどちらの言葉を使っても意味が通じる場合があります。

と、ここまでは例のAI君が教えてくれた気分と気持ちの違いですが、今日は気分の方について書いてみようと思います。

というのも、気分がすぐれないとか、気分がいいという言葉で表現されるように、その瞬間精神的にいい状態でいるためには、気分がいいというのが必須だからです。

そして通常私たちは、なんらかの外的要因によって気分を左右されてしまうと思い込んでいるし、実際そうなのでしょう。

いい音楽を聴くとか、好きな人と会話するとか、応援している選手やチームが勝利した時など色々です。

けれども、その時々の気分が必ずしも外的要因によって決定づけられてしまうわけではないという体験もあります。

なぜだか全く不明なんだけど、気分がいい、という経験が誰でもあるはずですね。だとしたら、外的要因に依らずに気分をよくする内的方法を知りたいものです。

それって最強だと思いませんか?私の場合は、ブログを書こうとしてipadに向き合ってしばらく静かにしている時、いい気分になることが多いです。

それは自分が何かいいものを書こうという欲張り精神を無くして、ただ浮かんでくるものを待っている状態なのです。

このことからの私の解釈ですが、精神活動が受動的になっている時にその静寂の心地よさというのがやってくるように思うのです。

能動的だとどうしても意識が外側に向いてしまうため、外的要因に気分が左右されがちになってしまうのです。

それに対して、自分自身は特に何もせずにただ受動的に待っている状態。自我にとっては苦手かもしれないですが。

何事に対しても受け身でいるということは、ひょっとすると生きる極意のようなものに繋がるのかもしれませんね。