もうしばらく自我として生きたい!

以下のoshoの言葉を聴いて、ものすご〜く納得している自分がいます。自分自身のことも含めて、ほとんど誰にも当てはまる耳が痛い言葉。

私たちは心の底では
自我から与えられる重みがにせものであること
まやかしであることにいつも気がついている
私たちはそれを知っているが、まだ知ってはいない
私たちは気がついているが、まだ知りたくはない
私たちは気がついているが、まだ忘れたままでいたい
これが人間のジレンマだ

そうなんです。私たちは、実は自覚できないだけで深いところでは気づいているのです。何をって?それは自分は自我ではないということです。

自分の中の誰かが、自分を縛るために罪悪感を上手に利用していることにも気づいているのです。罪悪感を投げられると、誰もが逃げ続けてしまうので自我の思い通りの人生から抜け出せないでいるのです。

あるいは、表現を変えると防衛の一つとして、自分は正しいというところから逸脱しないようにするのです。

こうあるべき、こうであらねばならない、道徳、倫理、そういった不自然なもので自分の自由を奪うわけです。

それと引き換えに手に入れられるのは、ほんの少々の安心感のみなのです。oshoの言う通り、気づいているのにまだ知りたくない。

まだ忘れたままでもうしばらく自我としての人生を続けたい。これが自我の本当の気持ちなのだと思いますね。

それが悪いということではないですが、もうそろそろバカバカしいと感じるようになってきた人から順番に、自分の本性を見ようとするようになるのでしょうね。