<全体>に委ねる

以下の osho の何とも気持ちのいいメッセージを味わってみてください。読み手が何を感じるのかに、興味があります。

『こうしたすべてを自分がやっていると思うのは自由だが、そうしたらあなたは無知の中で生きることになる。

もし、<全体>がすべてをなしていること、自分は<全体>に支配されそれによって息を吹き込まれていること。

生全体がそこから来ることに気づいたらそのとき、あなたは悟りの生を生きる。』

私たちは決して為し手ではないということです。最近では、AIを搭載した自律型のロボットというのが開発されていますね。

自律型というのは、いちいち外部から命令を下さなくても、ロボット自らが判断しながら行動するというものです。

そういう意味では、私たち自我も完全に自律型の生物ということになりますが、実はそれはそんな気がするということでしかないのです。

あまりにも自我が上手に独立した自分がいるというウソを作り上げてしまっているので、自分が人生の舵取りだと感じてしまうのです。

けれども、よ〜く深いところまで見つめてみると、どうもそうではないということに気づくようになるのです。

自由意志があるように思えるものの、本当のところoshoの言葉通り決意信号は<全体>からやってくるのです。

自我がそれをキャッチして、あたかも自分の決断であるかのようにしつらえるということですね。

ですので、もっと気楽に人生を楽しめばいいのだと分かります。全てを<全体>に委ねれば、本物のリラックスを味わえるようになるでしょうね。

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