肯定も否定もできない

子供の頃、加山雄三さんに憧れていました。若大将シリーズの映画を観に行ったり、テレビで歌を聞いたり。

沢山の素晴らしい曲を自分で作曲して、俳優さんなのに歌手としても上手に歌えるなんていいなと。

けれども、自分が加山雄三になりたいなどと思ったことはありませんでした。というよりも、そんな発想自体が自分にはなかったのです。

それは大人になっても変わらず、色々な人に憧れて、あんな風な人になれたらいいのにと思うけれど、最後には自分は自分でいいやに立ち戻るのです。

誰もがそうだろうと勝手に思っていたところ、セラピストになってたくさんのクライアントさんの内部事情と向き合ううちに、そうでもないと気づいたのです。

自分が自分でなくなりたいと本当に願っている人がたくさんいることを知らされて、びっくりさせられたのです。

私にしてみれば、自分が自分でなくなりたいと願っている、その自分も含めて消えてしまうと考えると、それはやっぱり嫌なのです。

ただそうした苦しい胸の内を知るに連れて、それも含めてマインドの働きに過ぎないということの理解を得るようになったのです。

そして最近では、自分は「これ」だという確固としたものすら薄れてきたおかげで、誰になる可能性もあったし誰でもいいやというように変化してきました。

マインドの仕組みはどのマインドも全く同じ。そのマインドがどのようなDNAの持ち主のところで成長したのか、どのような環境と体験を積んできたのか。

それだけが違うのであって、その違いが個々のマインドの違いを作り出す原因だったわけで、それが分かれば自分を肯定することも否定することもなくなるはずなのです。

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