つかの間の夢を楽しむ

私たちは、自分と他人を様々に比べて、どっちが優れているだの劣っているだの、どっちが恵まれているとか恵まれていないとか、常に喜んだり不服を言ったりしています。

人間は不平等だという時、それがつかの間の夢だということを忘れてしまっているのです。私たちは本当には、完全に平等なのです。

なぜなら、誰もが例外なく生まれて、そして死ぬのですから。生まれて、つかの間の夢を見て、そして確実に死んでいくのです。

先日ある映画を見ていて、それが実在した人物たちの物語を描いたものだったのですが、彼らも一人の例外もなく、全員死んで行ったんだと思った瞬間、本当に平等だなとふいに気づいたのです。

つかの間の夢の中で、悲喜こもごも、人を恨んだり妬んだり、闘って勝ったり負けたり、歓喜したり落ち込んだりして忙しいのですが、いずれはすべて無に帰するのです。

永遠でないものはすべてつかの間の夢です。私たちの本性である無からやってきて、いろいろな物語の中で遊んで、そしてまた無に戻る、ただそれだけなのですね。

夢は夢として気楽に、そして大いに楽しめばいいだけ。難しく考えたところで、夢の中でなにがどうなるわけでもないのですから…。

そして静寂がいずれは迎えにきたところで、目覚めることになるのですね。