子供がすくすくと育って大人へと成長していく過程では、沢山の知識を身に着けていくのですね。知識は、立派な大人になるためには、欠かせないものだと誰もが信じています。
常識的な社会生活をつつがなく送るためには、それなりの知識が必要となるのは当然のことです。そうした知識と気づきの違いについて書いてみようと思います。
知識の増加というものが、時間の経過とともに進んで行く水平方向の変化だとすれば、気づきとは一瞬で起こる垂直方向の変化なのです。
気づきには、原因があってその結果としての気づきがあるというような、明確な因果関係が見いだせない場合が多いものです。
実際、気づいた本人としても、なぜ今まで気づくことができないままでいたのか、その理由が皆目分からないということだってあるのです。
つまり、気づきには知識を得るような脈絡がないのです。知識を得るためには、本を読むとか、とにかく外部から情報を獲得することによって達成することが可能です。
一方、気づきは突然やってきます。それは、本人の努力の成果というわけでもありません。ある日ある時それはやってきます。そして、気づくと、それまでの自分の延長上にはいないことが分かります。
それが垂直方向の変化なのです。気づきを予想することもできません。気づきとは、神からのプレゼントなのかもしれません。
知識を得るのと同じような努力では、気づきを得ることはできません。それなら、何もできないのかというとそうでもないのです。
大切なことは、できるだけ多くの気づきを得たいという、渇望のようなものが必要なのです。その渇望が強ければ強いほど、気づきはやってきやすくなるように感じるのです。
気づきへの渇望によって、どんなものに対しても目を見開いているようになるからかもしれません。逆に気づいていない状態とは、目を背けているか、眠っているかのどちらなのです。
どれほど知識を沢山詰め込んでも、気づきがなければ、その人はグーグー眠っているようなものだということです。だからこそ、目覚めなさい!と賢者が言ってきたのですね。