「ただ在る」を感じる

年の暮れが押し迫ってきた感じがしますが、本当にそうだと思う人もいるでしょうし、そんなこと関係ないと思っている人もいるでしょうね。

私たちは、忙しい毎日を送っている間に、ともすると大切なあの感覚を忘れてしまいがちです。あの感覚とは、思考から離れたときに感じるあの「在る」という感覚です。

思考を働かせずに、ただただ見るのです。何を見るかというと、ただ在ることを見るのです。したがって、「見る」といっても視覚を意味するのではありません。

肉体の目を使って見るということではないということです。知覚を使えば、それは思考と連動してしまうからです。でも思考を止める必要はありません。

あるがままをそのままに感じるためには、知覚を使わないでいる必要があります。ただ在ることを感じるということです。

なぜそのことを忙しさにかまけて忘れてしまうのかというと、物語の中に巻き込まれて行ってしまうからです。

ただ在るというのは、その忙しい物語が続いていく土台のようなものです。それは、どんな物語が起ころうと、ただ在り続けてくれています。

「ただ在る」は、過去でも未来でもありません。それはこの瞬間にこそ在るものであって、どれほど自分が忙しくても、どんなに何かに翻弄されていようとずっと在るのです。

誰でもが知っているこの感覚。もしも、自分はそんな感覚は知らないと言うなら、自分を騙すのもいい加減にした方がいいよと言いたくなります。

だって知らないはずがないじゃないですか。それこそが本当の自分なのですから。自分のことを知らないなんて、ありえないでしょう。