意識は自分の外側にも内側にもない

私たちは、あらゆるものの外見だけを認識することができます。それも、そうした外見のほんの少しの情報しか、知ることはできません。

知覚できる情報は、非常に限られているからです。例えば、こちらを向いている人の後ろ側などはまったく見えないわけですし、たとえ見えている顔でも、完全な捉え方はできないと知っています。

そして、外側のどこにも思考や意識というものを見つけることはできません。それは、どこかに隠れているのではなくて、外側の世界にはないのです。

私たちは、目の前に誰かがいるとき、その人の内側には意識や思考があると信じて疑うことがないのですが、実際には身体の内部のどこを探しても、意識も思考も見つけられません。

意識や思考は、自分自身の内側に探す以外ないのです。そして、この自分の意識や思考にしても、内側といってもこの身体の内側ではないと分かります。

敢えて表現すれば、外側とは反対方向に無限に突き進んで行った深淵の彼方に、それはあるのではないでしょうか。

ということは、それはもうこの世界のものではありませんね。人間の外側に在るとされるこの世界においても、人間の内側である身体の中にも、つまりこの宇宙のどこにも意識や思考の所在を見つけ出すことはできないのです。

また矛盾する言い方になってしまいますが、意識や思考こそが、実はこの世界全体を覆っているのだと考えることもできます。

特に、純粋な意識というのは時間や空間を超越しているので、過去から未来におけるあらゆる時間のあらゆる空間に、それは満ち満ちているとも言えるのです。

それこそが、私たちの本当の姿であると多くの賢者たちが言ってきました。それを鵜呑みにすることなく、自分でそれを検証して、経験によってそれを信頼できるようになることが、大切なのでしょうね。