信じることと信頼すること

信じるという言葉と信頼するという言葉には確かな違いがあるように思います。信じるというのは、自分一人の思考でもできることですね。

例えば、どこかの企業の株の値が上がると信じるなら、その株を買おうと思うわけです。 このように、信じるということには、愛が必ずしも必要とは限りません。

自分の心には大きな罪悪感が潜んでいると信じることはできますが、そこには愛のかけらもないのですから、このことは明らかですね。

一方、信頼というのは常に愛と関連しているのです。自分の相手への愛、または相手の愛ゆえに信じることが出来るとき、それを信頼というのだと思います。

あの人は信用できる人だというときには、ただ困った事態にはさせないだろうという程度の感覚ですが、あの人は信頼できるという場合には味方になってくれるというような思いが込められているのです。

このように、単に信じるということは感情を抜きにしても可能なことのように思いますが、信頼はより深い愛の気持ちと繋がっていると思います。

ところで、信じるということは愛とは無関係にできるのであるとすると、そのメリットはどんなことが考えられるでしょうか。

自分はあの人のことを本当は愛してはいないのかもしれないけれど、真面目で実直でよく働く人なので、私を幸せにしてくれるかもしれない、などと思って結婚するのは、「信じる」の方ですね。

この場合のメリットは、一過性の安心感を得ることかもしれません。その安心を得られなければ、到底その人と結婚しようと決意することはできないわけですから。

しかし、やはりそこに愛がなければ、その安心は一過性のものに過ぎないため、結局は幸せになるどころか、未来に対する不安は尽きないものとなってしまいます。

一方で、相手に対する変わらぬ愛を感じるのでしたら、それは信頼することに繋がるわけですから、ただの安心というよりも継続的な心の平安を手に入れることになります。

結局、信じることと信頼することは若干似ているように思えても、その実はその思いに愛が含まれるかどうかというとても大きな違いがあったということですね。

みなさんは、周りにいる人達のことを信じていますか?それとも信頼していますか?その違いをよく見つめてみる必要がありますね。

そして信頼は自分の心の中にある愛を使うことになるのだということ。愛を感じることができるのなら、信頼をいつも持っていることができるということになります。