理不尽さを乗り越える

今までにも理不尽なことについては、このブログでも触れてきました。理不尽さは自分が幸せになっていくために、欠くことのできない宝物なのです。

というと語弊があるかもしれませんが、実は理不尽さを自分がどう取り扱うかということが人生を大きく左右するということです。

理不尽さの感覚というものは、自分の感覚や判断などを正しいものとした上で、どうしても納得することができないような状況のことを指しますね。

特に、自分に直接利害が関わってくるような場合には、その思いが大きくなります。例えば、約束を破っても全く謝らない人の話を聞くと、そんな理不尽な人もいるんだというくらいの感覚になるかもしれません。

しかし、それが実際に自分が繰り返しそうした体験をさせられたとしたら、ものすごくやりきれないような怒りとともに、大きな理不尽さを感じるはずです。

つまり、理不尽さとは、自分の判断基準の正しさから逸脱した事象についての反応であると同時に、被害者の立場になればその思いが何倍にもなるということです。

理不尽さを感じて幸せな人は誰もいません。何とかして、その理不尽な思いを克服する方法を考えたいのです。

そのためには、まず自分が何らかの被害に遭ったかどうかということを抜きにして、正しさについてだけを見てみることにします。

そうすると、正しさというものは自分の判断は正しいというものが基準になっていると分かります。その正しさは実はかなりいい加減な作り物であると気づく必要があります。

私達はその正しさで周りの人を裁いているわけですから、その正しさを手放すことにすればいいのです。約束を破って謝罪しないという事象が正しくないという決め付けを手放すということです。

残りは、約束を破られて待ちぼうけさせられたとか、ドタキャンされて計画が壊されたなどの迷惑について考えてみます。

すると、過ぎ去った今となっては物理的な痛手が残っているというよりも、何か相手に文句を言いたい気持ち、つまりわだかまりだけが残っていると分かります。

このように冷静に分析することで、今まで感じていたほどの理不尽さのインパクトがなくなっていることに気づきます。

この手法により、小さな理不尽さは比較的簡単に解消することができます。しかし、大きな理不尽さの場合はどうしたらいいでしょうか?

つづく