能動的な選択

葛藤という言葉があるように、私達の心の中には、互いに真反対とも言える意識が一歩も譲らないようにして、まるで戦闘態勢になっていることがあります。

自分の心がある事柄に関してたった一つの意識だけであれば何の問題もないのですが、なかなかそうは簡単にはいきません。

例えばダイエットをしようと決意して、大好きなケーキを食べないようにしようとする意識があれば、その反対に目の前にあるケーキを食べてしまいたいという意識もありますね。

その二つの意識はそれぞれに、もっともな理由があってその気持ちを主張しているわけですが、全く相容れない主張であるため本人は苦しむことになります。

ケーキを食べずに我慢しようとする意識が理性的であるとするなら、大好きなケーキを我慢せずに食べてしまいたいという意識は情動的なわけです。

こうした葛藤が心の中で互いににらみ合って、相手を打ち負かして自分の主張を通そうと頑張るわけです。

そして、どちらの主張が通るかは、その時のパワーの強さで決まってしまいます。つまり、より強力に訴える方が自分自身を乗っ取ることで、自分がどうするかが決まるわけです。

乗っ取るという表現は少し過激な感じもするかもしれませんが、力づくで自分を奪い取るわけですから、どちらでもない中立な自分の立場からすると紛れもなく乗っ取られたということになってしまいます。

それは能動的に自分の行動を選択するというよりは、受動的にあるいは強引に決められてしまうという表現の方が近いのです。

あたかも能動的に自分が選択したかのように見えて、その実は強引にどちらかに決められてしまったということです。禁を破って食べてしまった時にはよりそうした感覚になるはずです。

どちらを選ぶにしても、能動的にあるいは理性的に選択することができると、自分を責めたりすることがなくなります。

そのためには、中立な心が双方の主張を充分に受け入れることです。特に、情動的になっている意識の主張は時間をかけて受け止めてあげることです。

それに成功すると、その訴えるパワーをある程度平静化することができるのです。そうすることによって、どちらが勝つかということではなく、中立の心が穏やかに選択することができるのです。

自分の心に葛藤が生じているときには、この方法によってその葛藤を鎮めると同時に能動的に選択することができるようになるのです。

機会があれば是非試してみて下さい。上手にそれをするためには何度も練習をして習慣にする必要があります。懲りずに訓練を続けることですね。