マインドと存在を見分ける目

少し前にジャニーズの人が不祥事を起こした事件がありましたが、例によって各テレビ局がこぞってそれを取り上げていました。

様々なコメンテーターと称される人々が勝手な意見を言う時代なのですが、総じて厳しい意見の方が無難な風潮がある気がします。

少しでも彼をかばうようなニュアンスのことを言うと、それを言った人も同罪のような空気になるのを見ます。

「罪を憎んで人を憎まず」というのをもっと明確に言えば、すべてはマインドのなせる技だということ。存在と起きたことは別だと気付いていること。

よく「私だったら自制できた」とか、「なんで理性的でいられなくなるのか訳が分からない」といったことを言う人がいますね。

もしも理性的でいられたなら、その瞬間のマインドの中で理性が一番強かっただけなのです。意志の力も含めて、単なるマインドの一部に過ぎません。

その人のマインドがどのように作られてきたかと言うことと、その時の周囲の状況との合体によって、その瞬間のマインドの有り様が決定されるだけなのです。

それ以外にはどんな要因もありません。マインドを超えた意志の力などというものはないということですね。

マインドと切り離して、「存在」を見ることのできる眼差しをもっと養う必要があるのではないかと思いますね。