物語の中には誰もいない

どんな物語であれ、それがまったく実在しない架空のものだということは誰でも知っています。逆に言えば、実在するものを物語とは普通呼ばないわけです。

けれども自分の人生が物語だということを深く理解している人は少ないのかもしれませんね。なぜなら人生はとてもリアルですばらしく実感があるからです。

そのリアルな感覚を空想だと言っているのではないのです。快感もあるし、痛みも実際にあるのは間違いありません。

ただ物語性だけは思考による産物に過ぎないということを言っているのです。今目の前に胸を打つくらいに美しい花があるとします。

今この瞬間に感動して絶句しているなら、それが実際に起きていることではあるのですが、一方できっと誰かが手塩にかけて育てた可憐な花だと思うとき、そこに物語が生まれるのです。

つまり今この瞬間に意識を向けているなら、そこにはどんな物語性も入り込む余地がないのです。なぜなら物語には過去が必要だからです。

どうせ物語の中で暮らしているというのなら、辛く不愉快な人生よりも快適で清々しい人生に変えていきたいと願うのも当然ですね。

ただしその願いやそれに伴う努力全般が、今度は新しい物語として作り込まれることになるのです。そしてその新しい物語の中で、次の苦しみがまた生み出されるのです。

物語とはそのようにして、何度も繰り返されるものだからです。だから本当の救いとは、物語を物語としてただ見る目を養うことなのです。

真の自己は、決して思考がこしらえた物語の中にはいない、物語の中にいることは不可能だと気づくだけでいいのですね。

もちろんその時に、物語と一緒に物語の住人である自分も消えてなくなるのです。

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