生死を超越した自己

昨日のブログの冒頭で、私たちが生まれたその瞬間から、死に向かってのカウントダウンが始まっているということを書きました。

そのことは事実ではあるのですが、日ごろからそんなことばかり考えて生きている人がいたとしたら、その人は相当な変わり者だと言われてしまうでしょうね。

なぜなら、私たちは死ぬことを隠すためにも生きることに重きを置いているからです。そして、生きるために私たちが必要とするものは、すべて自分の外側にあるのも事実です。

餓死しないための食物も外側にあるし、危険から守ってくれる親も外側にいるのです。快適な生活を保障してくれる我が家も外にあるし、愛する人も外側の世界に住んでいます。

誰もが当然過ぎるくらいに知っていることですが、生き続けるためのすべての必須アイテムが外側の世界に存在するのですから、私たちの注意が自分の外側に向いてしまうのは仕方のないことです。

ところがどっこい、外側の世界ばかりに目が向いていると、いつまでたっても本当の不安はなくならないし、何を手に入れることができたとしても、満たされることは期待できません。

一度でも、ほんの少しでも完全に満たされた体験をしたことがある人なら分かるのですが、その感覚には理由がないのです。何かがあったから満たされたという外側の原因など、一つもないのです。

すべては内面で何かの変容が起きたとしか考えられないのです。つまり、私たちが本当に求めているもの、それは外側の世界には何一つないということです。

外側には、なるほど生きて行くために必要なものが勢ぞろいしているのですが、残念ながらあなたが心から欲しているものは、自分の内側にのみあるのです。

生きることに時間を使うのと同じくらい、死に対しても見つめることをすることができるなら、あなたの意識は自然と内側へと向くことが増えてくるはずです。

なぜなら、いくら外側に注意を向けてもそこには生きるためのネタがあるだけで、死への洞察を助けるものがないからです。人は、死を意識できれば必ず意識を内側へと向けることができるようになるのです。

そして、その内奥の究極まで見ることができたなら、生きることと死ぬことを超越した自己へとあなたは変貌を遂げることになるのでしょう。