「キリがいい」ことに執着しない

インターネットが普及する以前には、あまり聞かなかった言葉で「キリ番」というのがありますね。(最近は、あまり使わない言葉になってしまったかもしれませんが…)

「キリ番」とは、つまりキリのいい番号という意味で、たとえばホームページやブログなどのアクセスカウンターの番号が、100000 になったりした場合に言われるわけです。

私たちは、何となくですが、この「キリのいい」ことが好きなのですね。それは、逆を言えば中途半端が好みではないということかもしれません。

テストで99点を取るよりも、間違いなく100点のほうが気持ちがいいですし、大晦日と元旦を祝日として特別視するのだって、その年の終わりが切れ目としてキリがいいからです。

キリがいいことを好むことがいいとか悪いということはありませんが、それ以外の自分の心の声を無視してキリがいい方を選んでしまうと、問題が発生してしまう可能性が高くなるのです。

食事などで、身体はもう満腹していてこれ以上食べたくないと訴えているのに、ほんの一口だけ残すのはいかにもキリが悪いと感じて、食べてしまうということはないでしょうか?

この場合は、勿論もったいないという感覚も手伝っているかもしれませんが、冷静に考えたら身体からの訴えを優先した方が健康にいいことは明らかです。

仕事を終えて帰ろうとするときにも、キリのいいところまでやってしまおうとして、ついちょっとだけ残業をしてしまうと、別の仕事を頼まれたり、受ける必要のない電話の応対をやらされたりして、帰ればよかったと後悔するのです。

自分の中にある、キリのいい方を選ぼうとする気持ちと、キリが悪くても○○したいという気持ちの両者を、いつも天稟にかけて冷静に選択することができたら、余計な問題を背負い込むことが少なくなるはずです。

お皿に盛られた食べ物を、キリよく全部を平らげて、不健康になったり肥満になってしまったとしたら、それこそ不利益を被ることになってしまいますね。

そして、ここが一番大切なところですが、キリのいいところで人生を終えたいという思いが、輪廻転生を生み出していると私は感じています。

キリよく何かを終えるということは本質的には不可能なのです。何かをすれば、必ず別の何かが途中になってしまうからです。それが、物語を継続させる原動力なのです。

思考を未来に飛ばすことなく、しっかり今に意識を向けることでいつでも物語を終えることができるのです。それが執着のない、潔い生き方なのだと思うのです。

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