信頼があれば痛みも小さくなる

ずっと以前に治療した奥歯の被せ物と補強の残骸が、レーズンチョコを食べている間にポロッと取れてしまったのです。

あれって嫌なものですね。突然口の中に異物がやってきて、何が起きたんだ?と思っているうちに一瞬にして気づくのです。

あ〜あ、やっちゃったなと。急いで歯科に電話しようとしたのですが、たまたまその日は休日だったので断念。

一日待って、朝イチで連絡して翌日に予約が取れました。きっと、新たに型を取ったりして治るのに時間かかるのだろうなと。

治療してもらうまでの間というのは、急に自分が不完全な身体にでもなってしまったような心許ない気持ちになるものです。

ところが、いざ歯医者さんに行って見たら、取れた被せ物をそのまま使って、それ以外の部分は新たに補強をして完結したのです。

予想とは違って、あっという間に治療が終わってしまいました。何かあるとお世話になっている歯医者さん、きっと腕がいいのでしょうね。

ただ痛くても麻酔をしないのがたまに傷。怖がりの人は行かないほうが無難です。でも、時間を優先する人には最高の歯医者さんかもしれません。

私たちが通常嫌がっているのは、実際の痛みそのものよりも実はどうされてしまうのかという不安感なのです。

私はその歯医者さんへの信頼があるので、不安を感じないだけ楽なのです。ただの痛みだけになるからです。これは強いですね。

幸せは手に入れるものではない

若い頃に物事が上手くいかなくなって、落ち込んでみたり後悔してみたりして、しばらくどうしようもなくなってしまった経験があるかもしれません。

もう自分はダメだとか、お先真っ暗に思えてしまってやりようがなくなって、オーバーに言えば万策尽き果てたみたいな。

でもそんな時に、長老のような仙人のような人がやってきて、「君はまだ若い、可能性は無限大だ、何にでもなれる!」と言ってくれるかもしれません。

その有難い言葉に救われて、また明るい未来に向かって突き進んでいくことができるようになるというわけです。

こうした物語が素晴らしいもののように感じたとしても、実はとても大きな罠にハマっていることには気づかないのです。

自分には何かが足りない、こんな自分ではまだダメだ。もっと上を目指さなければ。そうやって目標に向かうことで自分の欠乏感を誤魔化すのです。

何かしていなければならないような気持ちが強い人は、こうした欠乏感から逃れようと必死になっているのです。

探究がやめられないのも似たようなものかもしれません。私たちが過去にも未来にも行かなくなった時、今の中に戻って来れた時、足りないという不満足感は幻想だったと気づくのです。

その時に初めて、最初の最初から満たされていたことに気づくのかもしれないですね。それこそが月並みな表現をすれば、幸せということです。

幸せは頑張って努力して手に入れるものではなくて、自分自身が幸せそのものだったと気づけばいいのですね。

これ以上ない非二元のシンプルな解説

何かが見えているという現象が起きているとき、そのことに対して次の二つのことを思考が勝手に付け加えるのです。

一つは、見ている誰かがいるから、見えているのだと。もう一つは、見えている対象物が実際に存在するのだと。

思考によって追加されたこの二つのことで、この世界は成り立っているのです。これを二元の世界というのです。

けれども、もしもこの思考の答えを脇に置いてそれを使わずにいられるなら、この世界は非二元になるのです。

ただただ見えているということのみが起きているということ。これが思考を挟まずにこの世界を捉えた瞬間なのです。

見えているということをもっと中立な表現で言えば、赤という色が起きているとか、丸という形が起きているとなるわけです。

赤や丸が起きているだけなのに、それを見ている私がいるとか、赤い色をした丸い玉がそこに存在する、と思考が叫んでいるだけなのです。

この違いを見抜くことができれば、もう非二元を理解したことになるはずですね。

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