これは単に私の考えでしかないかもしれませんが、非二元に気づこうとすると様々な邪魔が入るのが常なのです。
それは、理解にブレーキをかけて、我々の常識の中へと引き戻す役割をしてしまうのです。その最も典型的なものとは、我々の信念や思い込みの類です。
非二元の探究を通して分かってきたことですが、普段の生活がどれほどイマジネーションによって作り込まれていることか。
そのことを知って本当に驚いたのです。私たちが現実と呼んでいるものの中で、リアルなものは1%もないかもしれません。
そのくらい、妄想によって支えられている世界の中で、リアルなものだけを見つめようとするのですから、困難を極めるのです。
そこに持ってきて、長い間培ってきてしまった強烈な思い込みがあるため、そこを脱出するのはなかなか困難なのですね。
自分の足元を支えてきた絶対的な正しさが単なる強い思い込み、つまりは信じていただけのものだったと気づくのは大変です。
そこと向き合って、少しずつそれらから足を洗うことができると、非常にシンプルな非二元の中へと招待されることになるのですね。

こちらのブログが非二元の話ばかりになってから、自分にとっては難解で、興味も
持てなくて、ただ習慣で読んでいました。
でも、あるときふと、
過去にうまくいかなかったいろんな経験による痛み不快と、それによる今後の想定に、日々押しつぶされていたことに気づきました。
この気づきが非二元と関係あるかわかりませんが、
そういえば、過去も未来もなく今…みたいな事をいっていたなぁ…となんとなくつながり。
今だけを携えていれば、心労やモヤモヤした気持ちはまさに妄想であり事実ではない!と、腑に落ちました。
そのような気づきが来るのは恩寵というやつですね。いつ来るのかは分からないし、誰に来るかも分からない。
でも来る時があるということです。その気づきを忘れずに携えていられたらいいですね。