ときとして静かに坐ることがあったら
目を閉じて感じてごらん
自分が誰であり、どこにいるのかを–
深く進んでごらん
すると不安になるかもしれない
なぜなら、深く進めば進むほど
あなたは自分が誰でもなく
ひとつの無であるにすぎないのをより深く感ずるからだ
by osho
それなのに、私たちはやれこれは間違いだとか、そうすることは人の道に反するだとか、伝統を重んじなければなどと言うのですね。
そういう日々の雑多な物事の方に思考がロックされてしまったら、そう簡単には抜け出すことができなくなってしまいます。
だからそんな時は諦めて、しばらくして少し心が落ち着いた時には、ほんの1分でも構わないので、↑これを思い出してみることです。
自分が誰かは分からなくなり、どこにいるのかも意味をなさなくなるのです。そうなったら、どんな人生を生きて来たのかということすら消えていくのです。
自我は消えたくないともがくでしょうけれど、それもそのままにして抵抗することなく、対処することなくただ在るだけになるのです。
自分の中心に自我などないと気づいた時、いきなり全体性に包まれることになります。平和とはこういった境地を指すのですね。