最近ニュース等でよく話題になっているパワハラについてなのですが、そんな言葉が世間にないころからずっとあったのだと思いますね。
それが言葉ができたことで共通の認識ができるようになったのでしょう。そうなると、埋もれていたものが順番に表面化していくので、なかなか大変です。
いつになったらパワハラがなくなる世の中になるのか、まだまだ出ていないウミは沢山あるのだと思います。
セラピストが話題にするのは、世の中で起きているあらゆるパワハラの根っこにあるもの、それは「家庭内パワハラ」とも呼べるようなものです。
もちろんパワハラをするのは親側であって、被害者は弱い立場の子供達であることがほとんどです。
夫婦の間でパワハラがあることもあるし、それが子供達へのパワハラへと繋がっていくことは容易に想像できます。
家庭内パワハラを経験すると、被害に遭った子供のエネルギーが傷となって残るため、その後の人生においてもパワハラに出喰わす可能性が高くなるのです。
毅然とした態度で「ノー」が言えない人の何と多いことか。こうした事実はセラピストになって初めて知り得たことだったのです。
家庭内パワハラが定常化すると、被害者としての自覚も怪しくなり、言葉は悪いのですがある種の洗脳状態にさせられるのです。
そうなると、ペットとしての身分に落とされた子供は、飼い主である親を責める気持ちも起きなくなってしまうかもしれません。
セラピストとして気になるのは、クライアントさんが親を責める気持ちがちゃんとあるかどうかという点です。
親への怒り、親への不満にしっかり気づいていてくれるなら、癒しはそれほど難しくはならないはずだからです。
忠義を尽くすとか耐え忍ぶとか石の上にも三年とか愛の鞭とか、辞書的な意味はともかくパワハラを容認しやすい使い方が容易に出来てしまう言い回しがなんと多いことか!と改めて思います。
きっとこういうパワハラ問題をタスキをつなぐように連綿と行ってきたのですね。
最近職場が変わったのですが、入社三日目でさっそく会社の代表に電話して募集要項とは違う部分は無理なものは無理とNOを突きつける話をこちらから切り出しました。
話がこじれる前に自分から言ってしまえばなんて事ないですね。
セラピーによって親への怒りと向き合って、怒りを抱えて生きてきた自分へのバカバカしさに涙が出たから自然と上司に電話できたのだと想います。
ありがとうございました。
バタバタしてますが落ち着いたらまた顔出しに行きます。
それまで毎日のブログ楽しみにしてますね。
子供の時は仕方ないにしても、大人になってパワハラの被害に遭ってしまうのは、自分の自己防衛によるものです。より無防備な生き方ができるようになれば、パワハラからは解放されることになるということですね。