私はいつも、他人の愚痴は聞くべきではないと言っています。それはもちろん、自分自身も愚痴は言わないということですが…。
人の愚痴を聞いてあげるということが、一見人助けのように思えるかもしれませんが、愚痴を聞いてもらって幸せになることは決してないのです。
逆に愚痴を聞いてあげたら、その人の気づきを妨害するようなものなのです。なぜなら、自分で問題を見つめることをしなくなるからです。
一度聞いてもらえば、それは必ず繰り返されるようになるはずです。愚痴を言ってなぐさめてもらえたら、楽だからですね。そうして人を依存させてしまうのです。
一方、愚痴を言うのとは少しニュアンスの違う、泣き言を言うというのがありますね。もちろん両者は重なる部分があるのも事実です。
けれども、泣き言というのは自分の認めたくない否定的な部分、情けない自分などを打ち明けるという感じがあるのです。
これは愚痴を言うのと違って、ある程度勇気のいることです。つまり、泣き言を言う場合には、ハートを開く必要があるということ。
それは危険なことなのです。愚痴を言うのが自己防衛なら、泣き言を言うのは無防備なニュアンスがあるということです。
惨めさを吐露すると言った感じといえばいいのでしょうか。こちらは大いにお勧めです。
そして当然、人が正直に何かを吐露するときには、誠心誠意それを受け止めてあげることですね。