もし世界中の誰もが自分本位だったら
世界はビューティフルだろう
ちょっと考えてみてごらん
誰もが幸せでいようとしている
誰もが祝おうとしている
誰もが静かで、瞑想的で
祈りに満ち、愛にあふれていようとしている
そういうものこそ幸福のもとだからだ
世界は幸せになるに違いない
by osho
自分本位という言葉には、何かエゴイスティックで嫌なニュアンスを感じてしまう人も多いでしょうね。
けれども、誰もがそうなったら世界はビューティフルだろうと osho は言っています。その違いはどこから来るのでしょうか?
実は、誰もが幸せになろうと思っているということに異論はないでしょうけれど、それがそもそも違うのです。
私たちは、ただ安心していたいのです。それを幸せとか満たされるということと勘違いしているだけなのです。
祝おうとする気持ち、祈りに満ちて、瞑想的で愛にあふれていようとすることは、安心しようとすることとは正反対。
安心したいのは不安だからであって、そこには愛のかけらもありません。ただ恐怖に飲み込まれているのです。
自分本位とは、自分を安心させようとする生き方とは真反対であって、自分のあるがままで在ること。だからそこにどんな闘いもないのです。
そうなったら当然、瞑想的で愛に溢れることになるのでしょうね。