幼い頃に、親などの激しい怒りに触れて、物凄くいやな思いを繰り返してしまうと、「怒り=忌み嫌うもの」という図式ができてしまいます。
それともう一つ、「怒り=怒りをぶつけること」という間違った思い込みをすることにもなるのです。
そうなると、怒りはもう完全に悪者であり、理不尽に激怒するあんな親のようには決してなるまいと決意するのです。
それでも思い余って拳を振り上げることがあれば、それこそ親に倍返しの目に遭わされて、それでもう完全に怒りを封印してしまうのです。
こうなると怒りを抑えるという自覚もできなくなります。自分は怒りがない人間なのだという身勝手で都合のいい解釈をしてしまうのです。
この社会では、怒る人よりも怒らない穏やかな人の方が良しとされるため、怒らない自分はいい人間なんだと勘違いもするかもしれません。
問題は、怒りを知らずに蓄積してしまうと、どうしても理不尽な怒りをぶつけられる羽目になってしまうことです。
そうして、怒りを抑える回路とそれを打ち破ろうとする自然の力がマインドの中で激しく闘うことになるのです。
こうなると地獄の毎日が繰り返されることになるでしょうね。はたから見れば、何であの人はあんなひどいことをされてるのに、文句も言わずにいるのだろうかと…。
怒りは単なる感情なので、怒りをぶつける、怒りを抑圧する、怒りを感じる、この三つの状態があるのですが、このことにまずは気づくこと。
そしてほんの少しの感情の揺れ、少しイライラする、あるいはちょっとムカッときた、といったチャンスを逃さずにそれを感じてあげる訓練をすることです。
そうして怒りは悪者ではなく、自分の大切な感情の一つなのだということに気づいていければ、自然な怒りを感じられるようになるはずです。