気づいている状態を続けるためには、思考に頼る代わりに注意深くいることがどうしても必要なのです。
注意深さといっても、なにかを注意深く凝視するような一点集中ではなくて、注意深く耳をすますというイメージです。
というのも、視覚はある場所にターゲットを絞るものですが、聴覚は絞らなくても機能するからです。
全方位からやってくる音に対して、まんべんなく聞き耳を立てる感覚が理想的な注意深さに近いということです。
周囲の静寂に耳を傾けようとするとき、自然と目を閉じることが多いと思うのですが、あれは視覚を遮断してより注意深くあろうとするからですね。
けれども慣れてくれば、目を閉じる必要がなくなってきます。目は開いていても、何も見ずにいられるようになるからです。
それと同じようにして、注意深くあるためには聴覚を使う必要もないということが分かってきます。
なぜなら、元々注意深さとは視覚や聴覚といった感覚とはまったく異なるものだからですね。
注意深さにはどんなターゲットも必要ないのです。だから言葉で表現すると、意識に意識を向けるといったようなつかみどころのないものになるのです。
分かりづらいかもしれませんが、それにもかかわらず熱心に練習を繰り返しているうちに、ターゲットのない注意深さを体得できるようになるはずです。