私たちは、寝てる間も目が覚めてる時も四六時中エゴの世界に取り込まれています。それは確かなのですが、起きた瞬間は自分とエゴの結びつきが若干緩んでいるようです。ですから、その瞬間を利用して、今日はエゴではなくて、聖霊を教師として生活すると決意するのです。
勿論この決意自身もエゴの中でやっているのですが、実はここでエゴの防衛を利用することになるのです。エゴの防衛の一部に、自分をうそつきにはしたくないという部分がありますね。だから、この自分の決意、約束を守らざるを得なくなるというわけです。
これは防衛を利用して防衛を減らしていく作戦と言ってもいいと思います。よく柔道の達人と言われる人だけが使える技の一つに、相手の腕力を利用して相手を倒すという究極の技があるらしいですが、それと同じやり方ですね。ただ、何事も限度を越えると一気に逆襲されるのでそこは気をつける必要があります。
所詮、我々はエゴを利用する以外に、エゴから離れていく手立てはないと思うのです。
私が「奇跡のコース」を学んでいるのだって、特別な自分でいたいというエゴの防衛を利用して勉強を続けていると言ってもいいのですから。
上記の二つの例は、どちらも自分一人の内面でのエゴとの駆け引きの話でしたが、相手のエゴの防衛を利用する方法もあります。
相手が攻撃という種類のエゴの防衛を向けてきた時に、自分も攻撃という防衛をしてしまってはエゴにやられっぱなしになってしまいます。そこで、なるべく純粋な愛で対応するようにするのです。そうすると、相手のエゴをだんまりの状態に仕向けることができ、結果自分は攻撃を受けなくて済むようになるのです。
エゴの最大の弱点は愛なのです。それも純粋な神の愛でなくても大丈夫です。エゴはそこそこの愛でもそれを目の前にすると、あたかもニンニクや十字架を突きつけられたドラキュラのようにたじろいでしまいます。
よほど愛が怖いのでしょうね。この方法は、エゴが愛から身を守ろうとして、まるでカタツムリが攻撃を受けて殻の中に入り込んで死んだようにするのと全く同じになるのを利用します。
エゴの特性をしっかり見抜いて、賢くエゴを利用して生きていくことはとても大切なことではないかと思います。勿論、その目的はエゴから開放されて究極の幸せへと進んでいくことです。