ルール

この世界で生活していく上で、守らねばならないルールは沢山あります。生まれてから数年間は家庭のルールがあり、団体生活をするようになると、幼稚園や学校でのルールがあります。

それと同時にこの国の文化の中で生きて行くために必要となるルールもあります。社会に出れば、更に職場のルールや新しい人間関係におけるルールも出てきます。

高校野球の球児たちは坊主頭でなければならないというのもルールですし、赤信号は止まれというのもルールですね。

全く同じ年齢の二人が隣同士で暮らしているとしても、その二人が意識しているルールにも違いがあるし、また守らなければならないと思っている度合いにも大きな違いがあるはずです。

ルールに関して、人と自分が少し違う意識を持っているかもしれないと感じたことは誰にでもあるのではないでしょうか。

ルールを守ることを比較的優先する生き方と、そうでもない生き方とに大雑把に分けるとすると、自分はどちらのグループに属すると思いますか?

例えば、誰もいない深夜の見通しのいい交差点で、歩いていて赤信号にぶつかった時に、左右を見て渡るのか、じっと青になるのを待つのか、どちらを選ぶ傾向にあるでしょうか?

社会的には、決められたルールはきちんと守るという人のほうが、ルーズな人よりもよりいい評価を得ることができますね。

しかし、あまりにも生真面目にルールを守ることを重要視する人というのも、逆に敬遠されてしまうこともあるかもしれません。

ルールは効率的に物事を進める上で役に立つものではありますが、だからといって、それを守ると幸せになれるかというと、そんなことはありませんね。

ですから、ルールを守ることを重んじるのは、幸せを求めているというよりは、自己防衛のためにルールベースの生き方をしているということに気付く必要があると思います。

ルールは必要があって作られたのですが、唯一価値あることである、自分の幸せということと照らして考えてみると、ルールを守らなければならないということに大きな意味を見い出すことができなくなります。

ルールを無視した破天荒な行動を促しているわけでは決してないのですが、ルールはルール、それを死守するために自己犠牲を払うようでは本末転倒になってしまいます。

あくまでも幸せになるためにどう生きるかを見極めることがとても大切です。自分がルールを守ろうとする時、なんだかあまりにもそのルールに縛られているなと感じたら、幸せになろうとする方を優先するように考え直してみることです。

私も世間一般のルールはそこそこ守って生きていますが、ルールが大切と思ったことは一度もありません。最近私の中にある、唯一価値あるルールは、できるだけ自分では判断しないということです。

自分の心の中の愛の部分である聖霊に委ねるということをルール化して、それを習慣にしようと思っています。各人が、自分なりのルールを作って、それを実践することで真の幸せを手に入れられるようになっていって欲しいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です