適職と天職

以前このブログで一度、天職について書いたことがありました。この時期になると、新たに仕事に就く人が沢山いらっしゃいます。それで、再度職業について書いてみたいと思います。

世の中には沢山の職業がありますね。勿論主婦業や子育てをする親業というのも一つの職業だと思っていいと思いますが、どれだけの人が自分の職業に満足しているのでしょうか。

その人の性格や気質などにちょうどマッチした職業のことを適職というのかもしれません。生まれながらの得意分野というのが誰にでもあるわけですが、そうした才能を生かせる仕事は適職というのでしょうね。

学生から社会人になるときなど、一体自分はどんな職業が適しているのか、自分は何をしたいと思っているのかと考えるはずです。

また、すでに仕事に就いている場合でも、今の仕事は自分にとっての適職なのかと疑問を持つこともあるはずです。

そんなとき、適職を見つけるヒントになるものとして、とても重要な要素があります。それは、子供のころに持っていた興味です。

一般的に小学生や中学生の頃というのは、まだそれほど人生のしがらみというものを持っていませんので、そういう時期に興味を抱いていたものは生まれながらに好きなことである場合が多いと思います。

私の場合には、物事の本質を考える哲学的なことと、人の心について興味がありました。偶然かもしれませんが、今そのどちらにも深く係わる仕事に就いているという自覚があります。

自分が社会人になるときには、そうした子供の頃の興味については職業を選ぶ選択肢としては全く考慮することはありませんでした。

そんなものでは生活していくことができないと勝手に思い込んでいたからでしょうね。そういった常識的な思い込みというのが、適職に就くことを邪魔したのだと思います。

適職に対して天職という言葉もありますね。これは、得意不得意などとは関係なく、何か大きな力によって決められた職業というようなニュアンスがあると思います。

ですから天職というのは自分の理性では気づくことができないものかもしれません。きっと、適職かどうかも分からないままに続けた結果、何となくこれが天職なのかもしれないという感覚としてやってくるのかもしれません。

勿論、適職であると自覚している職業に就いていて、それが天職である場合もあるはずですから、そうなったら何よりも幸せかもしれません。

またその反対に、全く適職ではないと思っているような場合であっても、それが天職であるということもあるはずです。

職業で人生が決まってしまうわけではないということをこの10年くらいの間に学んできましたが、それでもかなり大きなファクターになることは間違いないですね。

もしも自分の仕事に不満がある場合、じっくりとこうしたことを考えてみることは決して悪い事ではないと思います。

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