人は心の奥底で自分のことをダメ出ししたり否定していると、そのダメさ加減が周りの人に知られてしまったら軽蔑されて、見捨てられてしまうと感じるのです。
大人であれば見捨てられてしまったとしても、苦痛や悲しみを感じるだけで生きてはいけるということを理解できるのですが、それが幼い子供であれば死を意味します。
そうした幼い頃の意識をいつまでも持ち続けていると、それこそ命がけでダメな自分を隠さねばならないという強い衝動を感じながら生活することになるのです。
それこそが対人恐怖の元となるものなのです。自分を守ろうとする力が大きければ大きいほど、恐怖もそれに比例して大きくなるのです。
そういう状態では、人と関わることがものすごい重荷になってしまいます。気軽に人と接してたわいもない話しをしたりすることが辛くて仕方ないのです。
まだ、決められた仕事を黙々とこなしたり、与えられたことを淡々と遂行する作業のようなものが主であれば楽なのですが、筋書きのない人とのコミュニケーションが一番苦しいのです。
油断しているすきに、いつ何時自分のダメな部分を見破られてしまうかもしれないと思えば、相手に気を許すことなどもってのほかと感じてしまうのも当然ですね。
そんな苦しい思いをしてまで人並みの生活を維持しようとは思わなくなってしまう可能性もあります。そうなると、外出することもままならなくなってしまうかもしれません。
深夜にレンタルビデオ屋でビデオを借りたり、コンビニに夜食を買いに行くということはできるのですが、それはそういった行為には社会生活という人とのかかわりがないからです。
家を出て、近所の人と出会って軽い挨拶をするということの方がむしろ辛いはずです。なぜなら、そういった行為はシンプルではあっても、そこには立派に社会というものが存在するからです。
毎日の生活に支障が出てしまうくらいの対人恐怖は、心の奥底に持っている自己否定感、無価値感といったものをしっかり見つめて、それが単なる思い込みに過ぎないということを理解することができれば、少しずつ改善していくことができるのです。