余程心が捻じ曲がってしまった人以外は戦争を望むということはありません。誰だって人と人が血を流して殺しあうことを好ましいとは思わないのです。
そのくせ、いつまでたっても人類の歴史はそのまま戦争の歴史と言ってもいいくらいに地球のどこかで日常的に戦禍の中で生きてる人たちがいるのです。
日本のように戦争を放棄した国にいても、私達は自覚のあるなしに関わらず周りの人たちとある種の戦いを続けています。
それは健康的なスポーツでの勝負や試験や成績での争い、会社間の熾烈な戦いや同僚との出世争いなど、数え上げたらきりがありません。
家族などのごく親しい間柄同士であっても、何かしらそこには争っている意識というものがあるのです。相手に負けたくない、何かで相手を負かしたいと思っています。
怒りという感情によって攻撃的になってしまうということも誰でも経験していることですが、そうした状態というのも誰かを相手に戦っているのと同じです。
もう分っていただけたと思いますが、私達は戦いが好きなのです。争いごとに巻き込まれたくないと思っているものの、実は無意識のうちに好んでそうした場所に行くのです。
誰もが心の平安を願っていると自覚しているその裏では、こうした心の働きというものがあるということです。
私達は根っから争いごとが好きでたまらないのです。戦いで勝つこと、相手と比べて自分の方が優位にあると思って安心したいということです。
そうした一過性の安心が心の平安だと思ってしまっているのです。だから、それ欲しさに争うということです。
しかし心の平安を得るために戦わねばならないというのは理不尽な話だと思いませんか?ここに気が付かなければ、いつまでも戦い続けることになってしまいます。
つづく