私たちは自分の人生を意義あるものにしようとして、自分にも周りの人たちにも役割を与えて生活しているのです。
その役割を互いにまっとうすることで、目標を達成できると信じているのです。自分の役割を自分がきちんとこなしていくことができると、そこにはつかの間の喜びを感じるかもしれません。
逆にうまく役割をこなすことができなければ、自分を責める気持ちが出てくるはずです。うまく役割をこなせたとしても、そこに自己犠牲があれば人生は苦悩に満ちたものになってしまいます。
また、周りの人たちにも沢山の役割を与えていて、それを果たしてもらえないとなると、攻撃的になるのです。そして、その怒りは正当なものだということになります。
私たちの怒りとは、ほとんどがこうしたことから発生するといっても過言ではありません。自分が相手に役割などを与えなければ、裏切られることも見捨てられることもありえません。
自分の怒りを正当化してしまうほど、幸せから遠ざかる生き方はほかにありません。どんな怒りもそれが正しいということなどあるはずがありません。
正しいとしても、心の平安が得られなければ一体どんな意義がそこにあるというのでしょうか?何が起きてもいつも平安を保っていられるためには、今までに与えてしまった役割を手放すことです。
相手が自分の与えた役割を果たさなかったとしても、それを攻撃しないことです。そうすれば、怒りからも役割からも開放されていくことになります。
もしも私たちに役割があるとすれば、それはたった一つ、そしてそれはみんなに等しく与えられているものです。それは、「許す」という役割です。
誰もが罪はないとして許すことを実践すれば、自分も周りの人たちも、この世界全体が救われるのですから。