若い頃、当然お金などなくてピーピーしている時に、ごく一般的な男性にありがちなことですが自分のクルマが欲しくて仕方がありませんでした。
就職するようになって、すぐに希望するクルマを親に借金をして購入して、有頂天になっていました。実際には仕事が多忙であまり乗る機会はなかったのですが…。
クルマを手に入れられたのはよかったのですが、月に一度の給料日に借金返済によって手元に残るお金はごくわずかでした。
そのときに、これって本当に幸せなのだろうかと思ったことを覚えています。自分の収入には不釣合いなクルマを購入したために、毎日の生活がとても不自由に感じられました。
とても欲しいものがあって、頑張ってそれを手に入れることができるというのは、ある意味自由な人生と言えるかもしれません。
しかし、そのために生活の別の部分が圧迫されて不自由さを感じることになるとしたら、その人生が自由であるとは簡単には言えなくなってしまいます。
私は逆に欲しいものが高額である人生とは不自由なものだと分かってしまったのです。そして、クルマを持ちたいという思いから開放されたほうが自由に違いないとも分かりました。
分かったところで自分の気持ちが変化するわけではありませんので、その後もクルマを買い換える人生は続いたのです。
本当の自由とは、心が満たされている状態を言うのだということも最近はっきりと認識できるようになりました。
ですから何かを欲しがっている限り、その人の心は不自由であり縛り付けられている状態であるということですね。
欲しいものが手に入った時の喜びとは一過性のものであって、それは一種の麻薬的な快感でしかありません。
あなたは欲しいものがどのくらいあるでしょうか?何も欲しがらない人生などつまらないじゃないかと安易に捉えるのではなく、この自由さについても考えてみるといいかもしれません。