苦しんでいる人は自分が真っ暗な袋小路にでも迷い込んでしまったと感じているかもしれません。四方八方の暗闇で、自分では光への出口が見つからないのですから。
その人は本当に自分なりに努力してきた末にこうした暗闇にどうしたわけか迷い込んでしまったと思っているのです。
一生懸命頑張れば頑張るほどに、人生がうまく回らない状態になってしまうし、藁をも掴む思いで本を読み漁ってみたり、これはと思うものに出会ったらそれを試してみるのです。
しかし、そうすればするほど、結局自分の気持ちとは裏腹に事態は悪化していき、にっちもさっちもいかないような出口のない洞窟の中でうずくまってしまうことになるのです。
これは典型的なエゴが使う悪循環の手口なのです。本人はまじめに自分の人生に取り組んでいるのですが、その視野の狭さをうまく利用してエゴが翻弄することに成功するのです。
視野が狭いとは、一つのことしか考えられないということです。全く違った発想で物事を捉えなおしてみるということができないのです。
私たちの自己像は自分が握っている信念や信条というものから大体出来上がっているのですが、そうしたもののルーツはすべて過去にあるのです。
そしてその過去を後生大事に抱えて自分の自己像の正しさを証明しようと努めているのです。本人がどんなにそれが大切だと思ったとしても、その結果が袋小路を作り出したとは分からないのです。
苦悩の中であえいでいる人がそこから脱出するたった一つの方法は、その袋小路を作っているのは自分の自己像だということにはっきりと気付くことなのです。
誰のせいでもない、過去に作り上げた自己概念そのものがそうした袋小路を作り出したのです。だからこそ、自分の正しさの中でどんなに努力してもそのこと自体が袋小路をより強固なものにするということに気付かないのです。
自分が信じている自己像のままにいくら頑張っても、未来もその袋小路の中にい続けることになるのは明らかであると分かることです。
もしも少しでもそのことに気付くことができたら、自分の今までの頑張りと努力を笑い飛ばして水に流してしまうことです。
そのときにこそ、すぐ目の前に光の差し込む出口があったということに気付くことができるのです。あとはそこに向かって進んでいくだけです。それが癒しというものですね。