昨日の続きのような内容になりますが、心が満たされる、あるいは満たされた心とはどうやって手に入れられるのでしょうか?
実は何か外的な要因によって心が満たされるわけではないのです。自分の周りにどんなことが起きようと、そのことで心が満たされることはあり得ないのです。
心とは元々が満たされた状態、あるいは満たされた属性を持っているものなのではないかと思っています。
だとすると、自分の心が満たされてないと思うとは、心本来の性質そのものを忘れてしまっている状態であると言い換えることができます。
それならば、満たされた心の状態を思い出すことさえできれば、心は満たされることになるということですね。
ではどんな方法によってその心の本来あるべき姿を思い出すことができるのでしょうか?それは、心が満たされた状態ではこういうことになるはずということを真似ればいいのです。
誰かを憎んでいたり、絶対に許せないと思って相手を罰しているときに、満ち足りた心を感じることは不可能だと誰もが知っています。
不安や恐怖、そして怒りから相手を攻撃しているとき、あるいは攻撃したいと望んでいるときにもけっして心は満たされてはいません。
その逆にそういう強い感情に乱された状態から平安な心に変化すれば、きっと満たされた心を思い出すことができるはずです。
だとすると、本当に満ち足りた人生を生きたいと願うのであれば、心の平安を願い、心が平安な状態でいられるように練習することです。
それが必ずや本来の心の状態である満ちたりたという喜びをもたらしてくれるのです。何が起きたかとか、どんなことをされたのかなどは本当に瑣末な取るに足らないことだと分かることです。
心の平安を真剣に願い、そのためにこそ生きるのだということを改めて決意することがとても大切なことではないでしょうか。