徹底的に自分に誠実であること その2

昨日のブログの補足です。

私たちは、自分が培ってきた自分の正しさや、その基盤となっている信念、あるいは信条といったものにしがみつく傾向を持っています。

どれほど現状が厳しく、生き辛い状態になっていると分かっていても、その原因が今まで自分がしがみついてきたものにこそあるとは気づかないのです。

しがみつく理由は、それがなくなってしまうと生きる指標を奪われてしまう恐れを感じているからですね。だから、必死にしがみつくのですが、その中味を正直に観ようとはしません。

もしも、丁寧に、そして自分に対して誠実に観てしまったら、それこそが今の自分を貶めている元凶だと気づいてしまうことになるからです。

そして、懲りずに次なる正しさを追い求めるのです。それは、場合によっては探求の結果発見した、これこそ真実だというものに摩り替わることもあるかもしれません。

そうすると、今度は神聖なる真実にしがみつくことになるのですが、本当の真実とはそういう対象には成りえないはずです。

結局、それも思考の範疇でしかないということです。しがみつきは、必ず硬直した生き方しかできなくさせるのです。

真実とは、しがみつく対象でも、主張するものでも、正しいというものでもありません。真実はただ真実であって、いかなる思考をも超越しています。

私たちに真に必要なことは、やはり自分に対して正直になることなのです。思考の上での信念でも真実でもないということです。

そして、正直に、できるだけ誠実に自分に耳を澄ますと、その時々に必要なことがやってくるという経験をすることができるのですね。

それは常にリアルタイム性を持ったものであって、あらかじめ分かっているようなものではないのです。それこそが、「今」という真理なのだと思うのです。

奇跡のコースでは、やってくる「それ」のことを、「聖霊からの声」というように表現しているのです。どう表現しようが、私たちにとって唯一信頼に足るものだと言えると思います。

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