私たちの手には、左右それぞれ5本の指があります。5本の指には、一つひとつにユニークな名前がついています。
親指(お父さん指)は、背丈は低いけれど太くて力強いという特徴があり、何かを握るときには一番大切な役目を果たしますし、指圧するときには、この指が必要です。
人差し指(お母さん指)は、少し細くてしなやかで、何かを指し示すときには重宝されますし、お父さん指と一緒にOKサインを出すこともできます。
中指(お兄さん指)は一番背が高くて、指全体のバランスを取っているようにも感じられます。お洒落な人は、この指に指輪をはめていることもあります。
薬指(お姉さん指)は、名前が示すとおり、患部に薬を塗るときに重宝します。これは、きっと普段はあまり使われない指なので、比較的清潔さが保たれているからかもしれません。
最後に、小指(赤ちゃん指)は、一番小さくて可愛い指ですが、野球のバッターがバットを握るときには、この指が微妙で大切な役目を果たすらしいです。
このように、それぞれの指には固有の役割だとか、姿かたちの特徴があって、どの指がどの指よりも優れているとか劣っているということはありません。
そして、どの指もこの私が自由にコントロールすることができます。5本の指すべてを同時に使って、比較的大きなものを持つことができますし、両手の10本の指を協力させれば、もっと大きなものにも対処することができます。
けれども、もしもこの私が、これらの指1本1本と自分のことを同一視してしまったとしたら、そこには両手を合わせて10人の私が仮想的に出来上がります。
そして、互いに自分と他の指とを比較して、優劣をつけたりして、仲たがいを起こすようになってしまうかもしれません。
自分は指であるという錯覚から無理やり目覚めようとするよりも、指としての自分の源泉は本来一つであるということに、意識を向け続けることができればいいのかもしれません。
今この文章を書いているときにも、キーボードの上を10本の指がタイミングよく駆使されているのを見るのが心地いいのです。
指それぞれの視点からだけではなくて、同時に私のこの視点から指を見ることができれば、指それぞれの苦悩を受容することができるのですね。