私たちは、人生において何らかのパターンを繰り返している、ということに気づくことがあります。そしてそれは大抵が気のせいなどではありません。
現実にそうしたパターンがあるということです。そのことに、明確に気づいている人もいますし、何となくそうかもしれないと感じるレベルの人もいるはずです。
そして往々にして、そうしたパターンというのはあまり当人にとっては好ましいものではないというのも事実なのです。
パターンの大元は、幼い頃に体験した惨めな想いや、恐れなどの苦しみです。そうしたことがまるでなかったかのように、本人は逃げ回って生きてきたのです。
本人は、それこそ必死に、命がけの努力をして、逃げ切ろうとするのです。確かに一時は逃げとおせたと思えたこともあったかもしれません。
けれども、事実はといえば、決して逃げとおせるものではないのです。隠したものは、本人の背後にぺったりとくっついて、いつまでも追ってくるのですから。
そうして、いずれはそれを本人に思い知らそうとして、現実の生活の中に起きてくるというわけです。それがパターンの本性です。
疑うことを知らない幼い頃に、無邪気に生きていて周りの大人たちにひどく傷つけられて、その惨めさを隠してしまうと、傷つけられるパターンが作られます。
もっと具体的にあげれば、たとえば仲良しだと思っていた人から裏切られるパターン、惨めに見捨てられるパターン、大切なものを奪われるパターン、こうしたものはいくらでもあります。
あなたの人生でのパターンはどんなものでしょうか?もしも、気になっているパターンがあるなと思い当たる場合には、それを体験するときの気持ちをよく見ることです。
もしかしたら、そのパターンの大元を見つけることができるかもしれません。いずれにしても、そのパターンが起きたときの本当の気持ちから逃げないことです。
その惨めさや自己否定感などと共にじっくりいることです。パターンを作り出している物語は出来る限り脇へ置いて、感情と一つになることです。
うまくいけば、パターンから逃れていくことができるだけでなくて、もしもまたそのパターンがやってきたとしても、そのことが問題ではなくなっていくはずです。