このブログにも以前書いたことがあるのですが、ある女性が入院している病棟でそれはひどい理不尽な待遇を受け続けるという映画を観たことがありました。
看護士も医者も堂々と意地悪をして、不必要な注射は打ってくるし、とにかくこんな病院からは一刻も早く抜け出したい一心で、見舞いにやってくる父親に必死でそのことを話すのですが、一向に伝わらない。
観てるこちらもイライラしてしまうのですが、そのうち何かのきっかけから急に周りの人たちが親切になったと思ったら、見舞いに来ていたのは父親ではなくて彼女のご主人だったとわかるのです。
つまり、そこは精神病院の病棟だったわけで、彼女の「攻撃されてる」妄想がそのまま映像になっている映画だったというわけです。
彼女の目には、本当にひどいことをされているように映っていたのですから、彼女の反応も当然のものだったのです。
昨日観た映画でも似たようなことが描かれていました。長いこと孤独だったある老人がいて、彼は隣に引っ越してきた婦人に好意を寄せられ、二人は急激に親しくなるという内容です。
彼は彼女のことを大好きになるのですが、突然連絡が取れなくなったりしてひどく気持ちを荒げてしまうのですが、実はその女性は長年連れ添った奥さんだったのです。
働いているスーパーの若いちょっと生意気そうな経営者も、実は彼の息子で、家族みんなで彼の病気を心配していたのです。
人は誰でも自分の理性を信じて生きています。自分は、物事を正常に判断できる正しさを備えているとして生活しているのです。
それが自分のワールドですね。その正しさを過信してしまうと、自分のワールドの外にも世界があるということが分からなくなってしまうのです。
正しさには意味がありません。正しさは正しくない人が周りにいて、初めて自己防衛のために役立つものだからです。そんなものにしがみついていては、相手やこの世界をあるがままに見ることができなくなってしまいます。
正しさに価値を見出さなくて済むようになれば、それだけ心は平安になるでしょうね。なぜなら、自分の周りに正しくない人がいなくなるのですから。