自分の正しさなんて その2

いつのことだったか、アメリカの有名なフットボールの選手が、死ぬ間際のベッドの中で、「あれは、絶対タッチダウンだった!」と言って亡くなっていったということを聞いたことがあります。

つまり、本人にとっては大事な試合で得点を入れた瞬間だったのに、審判からは別の判定がくだってしまったために、諦め切れないでいたということですね。

その試合から亡くなるまでにどれくらいの年月が経ったのかは知りませんが、いつまでも悔しい思いを捨てられずにいたということです。

それと比べたらはるかに小さな思い出なのですが、小学生のころに鬼ごっこをしていて、自分が鬼のときに必死になってある友達を追いかけた末に、背中にほんの少しだけ触れることができたのです。

その指先の感触を今でも覚えているくらいです。けれども、相手にはそれを伝えてもそれをまったく認めてもらえず、それ以外のどの友達からも同じ反応しかもらえなかったのです。

彼の背中の部分の服の一部に明確に手が触れたのですが、それは誰にも認めてもらえなかったというわけで、しばらくは悔しい気持ちが残っていたのを覚えています。

自分は間違ったことを主張しているわけではない、自分は絶対に正しいと思ったのですが、でも今思えば自分の正しさが大事だったのではなくて、聞き入れてもらえなかったことが悔しかったのだろうと分かります。

人は、正しかろうと正しくなかろうと、そんなことよりも自分のことを受け入れて欲しいという思いが強いということです。

それなら、そのことをしっかり認めてしまえばいいのです。そこをあやふやにしておいて、自分の正しさばかりを前面に押し出していても、不満はつのるばかりになってしまうでしょうね。

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