思考のないところに不完全さはない

昨日のブログでも書いたのですが、自分が全体性としての純粋な意識であるときには、この宇宙のあらゆることが完璧だとただ分かるのです。

完璧であると積極的に言う必要も本当はないのです。もう少し近い表現をすれば、不完全であるということはない、になります。

不完全さを見るのは、恐怖であり、思考なのです。私たちが通常考えている完璧さとは、恐怖を感じずに済むということなのです。

けれども、それは暗に恐怖を感じる可能性があるということを示しているということに気づく必要がありますね。

都合の悪いことが一つも起こらないということが、私たちのイメージしている完璧さなのですが、本当の完璧さを見るためには、まったく違う視点が必要です。

それは、無防備さである愛の視点です。それはただあるがままがそこに在る、起こることがただそこで起こっているというものです。

思考の外は、そういう意味では常に完璧でしかあり得ないということですね。逆に、「私」という思考の中では、決して真の完璧さを見ることができないのはそういう理由なのです。

思考のないところには、何の恐れも存在することはできません。そのことを愛と呼ぶだけです。それは不完全であるはずがありませんね。

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