by Gangaji
昨日のつづきです。
あなたは本当は誰ですか?あなたとは、あなたの頭の中に現れるイメージですか?身体が感じる感覚ですか?それとも頭や身体を通り過ぎる感情でしょうか?
誰かほかの人があなたはこうだと言った、それがあなたでしょうか?あるいは誰かほかの人にあなたはこうだと言われたことに対する反抗、それがあなたでしょうか?
これらは、様々な自己誤認の仕方の一部です。こうした定義はみな、来ては去り、生まれては死んでいきます。
でも本当のあなたは来ることも去ることもありません。それはあなたが生まれる前から存在し、生涯を通してここにあり、そして死んでからも存在します。
あなたという存在の真実を発見することは、可能であるばかりか、あなたに与えられた当然の権利です。
その権利を否定する考え ― まだそのときではないとか、自分にはその価値がないとか、自分にはその準備ができていないとか、自分はすでに自分が何者であるかを知っているとか ― はみな、理性があなたを騙そうとしているにすぎません。
「私」という思考を追求し、それがいったい本当にどれほどの妥当性を持っているか検証してごらんなさい。
この追求の中にこそ、すなわちあなたである意識的知性がついに自分自身に気づく可能性があるのです。