私たちの思考は、物事の違いを見つけて、殊更そのことに大きな意味を持たせたがる傾向を持っているのです。
なぜなら思考の根源は、個別性にあるからです。だから、思考には全体性を真に理解することはできないのです。
個別性というのは何かを比較すること、違いを見出すことによって保たれています。つまり、分離という個別性の結果である思考が、さらに個別性を強化し続けているのです。
思考でとらえるこの世界は、個別性が支配しているかのように思えます。けれども、この世界を素粒子のレベルにまで追っていけば、この個別性が崩れていきます。
素粒子の一つひとつは個別のものというように思考はとらえますが、そうではありません。根源的な素粒子どうしを比較することなど不可能だからです。
まったく同じ素粒子を比較などできません。思考でとらえようとしなければ、素粒子は最終的な姿としては無となり、それはまさに全体性となるのです。
ただし、思考であっても少し工夫することで、物事の見方を変えることもできます。それは、違いに着目する代わりに、同じことに目を向けるようにするのです。
赤と青は同じ「色」であり、喜びと悲しみは同じ感情であり、絶望と希望はどちらも望みについての想いです。同じということに意識をいつも向けることです。
幸福という想いも、不幸という想いもどちらも人生の体験として同じだということです。同じということに目を向けていると、どんなことでも「ただそれだけ」だと分かるのです。
それは、思考に頼らない全体性へと意識が目覚める準備をすることになるのではないかと思うのです。