数日前の朝のこと、いつものようにクルマで事務所に向かっているときに、何となく現実が頼りなく感じるような気がしたのです。
そして、駐車場にクルマを停めて歩き出した瞬間に、自分の中にこの現実を体験したがっているものを感じたのです。
いつものような現実感が薄れていたからかもしれませんが、ただ体験していること自体をそのまま悦んでいる自分を感じました。
でもその自分とは、今事務所までの道を歩いているいつもの人物としての自分ではありません。その奥に普段は隠されている何かなのです。
それは個人としての自分が都合のいい体験をしたがっているというのとは、まったく異なるものであって、体験の内容を楽しみたいのではないのです。
体験それ自体をそのまま楽しんでいるという感覚でした。この感覚は、以前にもたまにやってくることがありましたが、今回のものは長く続きました。
日ごろから感じている、ただ在るというあの自己の広がった感覚とは若干違うもので、敢えて言えば個人の自分と広がった意識との中間にあるようなものです。
いずれにしても、そうした感覚というのはいわれのない感謝の感覚を伴うため、とても爽快な気分になれるものです。
じゃあ、生きている間にもう少し体験させてあげようか、という気持ちにもなるというものです。