とにかく目覚めていることです。それは、単に目が覚めた状態という意味では勿論ありません。起きているということではないのです。
目覚めているとは、この瞬間の自己に注意を向けているということです。そこには、毎度おなじみの思考は入ってくることができません。
思考は活動していてもいいのですが、それも含めてただ在る自己に意識を向けていることです。自我がなくなる必要もありません。
自我が消えうせてしまって、完全に覚醒した状態が継続するということもあるのかもしれませんが、それは必要なことではないのです。
その瞬間、自我が怒りを抱えていてもいいし、悲しみの中でうつむいていてもかまいません。その自我を丸ごと抱きしめている目覚めた意識があればいいのです。
思考と思考の間の深淵と言うこともできますが、何も思考がなくならなくてもいいのです。その思考すら受容する目覚めた意識でいることです。
目覚めているとは、自己の本質に意識が向いているということです。それは、注意していることを忘れなければ、いついかなるときでもやってきます。
目覚めているということを、時間の中で体験しているように感じたとしても、それは思考による解釈に過ぎません。
だから、昨日のそれと今この瞬間のそれは、一つものなのです。そしてすべての人々のその目覚めた意識も、唯一無二のものなのです。