高校生のころ、ものすごくロックにはまり込んだ時期があったのですが、そのときに大好きだったサンタナというバンドがありました。
そのバンドは、ギタリストのカルロス・サンタナの名前をそのままバンド名にするほど、彼の色彩が強い魅力的なものでした。
彼は、カーリーヘアのような特徴的なモジャモジャ頭をして、魅惑的で悩ましい演奏をするのでした。それは、ちょうど性的欲求の強い高校男子を刺激したのでしょう。
彼らのジャンルはラテンロックと言われたこともあって、ギターのセクシュアルな音色とラテンの激しいリズムが融合したすばらしいものでした。
ところがある時、突然サンタナはそれまでの音楽性を封印してしまったのです。ある有名なミュージシャンに帰依したようになってしまい、頭も丸めてしまったのです。
敬虔な信者のようになった彼を見て、なんだか切なくなったのを今でも覚えています。彼がそのとき一体どんな心の状態だったのかは分かりませんが、その後しばらくはサンタナのことは忘れていました。
けれども、どれだけの時間の後かは覚えていませんが、彼はまた復活してくれたのです。モジャモジャ頭に戻ることはありませんでしたが、あの悩ましくもエキサイティングな音楽が戻ってきたのです。
彼のこの一連の変化について、今私は勝手にイメージしていることがあります。それは、こんなようなことです。
彼は若い頃から元々真理を追究していたのでしょう。そして、彼にとってグル(師)と思える存在に出会い、それまでのすべての自分を捨てたのでしょう。
そして最終的に、自分らしさを捨てる必要などなかったのだという真理に出会ったのだと思うのです。だからこそ、以前の彼が作り上げた妖艶な演奏がまた復活したのです。
癒しも全く同じです。はじめは、より良い自分を目指して、より真理に近づこうとして、これだという「道」を見出したと思うのです。
その「道」を真剣に歩むことによって、さまざまな気づきがやってきてくれますが、そのうちに、「道」などなかったと気づくことになるのです。
それはすばらしい開放的な気分にしてくれるかもしれません。到達地点などなく、いつもこの瞬間がすべてだと気づくのですから。