人は何か興味があること、好奇心を駆り立てられるようなこと、大好きでやりたくて仕方ないようなこと等に向かっている時には、取り立てて「安心したい」とは思わないものです。
つまりそこに不安があろうとなかろうと、それを安心に変えたいという衝動が小さくなっている状態だということです。
その一方で、逆に興味深さや好奇心とは無縁のやりたくないことに従事している時には、どうやって自分を安心させられるかに意識が向くのです。
つまりは自己防衛が発動しやすい状態になっているということです。こうなると、自我の独壇場となってしまうのです。
さてあなたの人生はどちらの色合いが強くなっているか、ご自身で検証してみてください。万一、安心を目指すような人生になっているのでしたら、癒しが必要というサインです。
防衛を繰り返していて満たされるということは決してないからです。安心を求めている人のマインドの中は、思考でいっぱいです。
なぜなら、防衛には思考を使うからです。思考が止まらないという自覚があるなら、それは年がら年中防衛を繰り返しているということを意味します。
そしてその目的は、闘ったり守ったりを繰り返すことで自我はやるべきことがあり続ける状態となって、それが安心につながるわけです。
自我の安心なんて所詮そんなものなのですね。不安だから安心したいと思うのは当然ですが、それをただ見守ってあげられるように練習することですね。