私たちはあれやこれやと努力をします。努力家などと言われてしまう人もいるくらい、努力が好きなのです。
努力する目的は、それが報われて願っていたものが手に入ることです。努力しただけ、報われる可能性が高くなることも事実ですね。
1時間の勉強よりも、5時間の勉強の方がテストの結果がより良くなる可能性があるのは当然です。
そして努力が報われると、私たちはまた更なる努力をして次の希望を叶えようとし出すのです。生憎ですが、これが自我を強化することにもなるのです。
もしも人並み超えた大変な努力をしたとしたら、その苦労は報われて当然だと思うはずです。これは、投資しただけの報酬を期待するからです。
けれども、投資に見合った報酬を貰えなかったり、逆にその投資(努力)が仇となって、思いもよらない結果がやってきたとしたら、容易にはそれを受け止めることはできないでしょう。
どうやっても納得がいかないのです。あの努力、あれだけの投資が全部無駄になってしまったとなったら、仕方ないでは済まないのです。
それがマインドの特性なのです。投資した分だけ報酬に対する執着が大きくなるといってもいいですね。
もしも清々しく穏やかな気持ちで生きていきたいのであれば、執着が一番の邪魔者です。
その時には、努力はその努力が完全に無駄だったと気づくために必要なのだということを思い出すことですね。