最近ふと気づいたことがあるのです。それは、自分は比較的小さな頃から内的世界で生きてきた自覚があるのですが、なぜそうなったのかについての面白い気づきです。
もしかすると身体の具合があまりよくなかったからなのではないかと思うのです。身体の内側からやってくる様々な感覚というのは、当然内側の世界です。
そのせいで、外側への興味が継続しそうになっても、身体からの黄色信号がやってくるとそれが邪魔をしたのではないかと考えられるのです。
身体が丈夫で具合の悪さをあまり感じたことがない人からすると、何を言っているのかあまり理解しづらいことかもしれませんね。
例えばこういうことです。明日は楽しい遠足だと思ってウキウキしている時に、突然お腹が痛くなったとしたら明日出かけることが不安になるはずです。
そうなったら、楽しみなはずの遠足が逆にうとましく感じられるようになるかもしれません。それに似たようなことが沢山あったのではないかと。
それで自ら身体の内部からやってくる不快感や痛みというのは、いったい何なのだろうと考えたりして、自然と内側に意識を向けるようになったのだろうと。
最初は身体への関心だったものが、次第に心の方へと関心が移っていったのだと思います。そして最終的には、心よりももっと奥底へと興味は移って行ったのですね。
外側の世界よりも内側の世界に興味を持って、益々意識を向けるようになったのは、そんな意外な原因があったのかなと。
そう考えると、具合の悪さで人生の楽しみを損しているなと思ったりもしたのですが、今となっては自分にとっては好都合だったとも考えられるのです。
人生というのは、何が功を奏するか本当に分からないものですね。今では、自分の感覚として外側2で内側8の比率くらいで生きている感じがしています。