子供の時であろうと大人になってからであろうと、生きていれば必ず惨めな体験というのはやってくるものです。
自我にこれを避ける方法はありません。ただし自我のやり方としては、そのような惨めで情けなくて都合の悪い自分を分離してしまうという荒技に出るのです。
そして、都合のいいピカピカな自分はその後も惨めじゃないということを証明するかのような人生を生きるわけです。
その一方で、惨めで都合の悪い弱々しい自分をコンクリート詰して海底深くに沈ませて、いないことにしてしまうのです。
そうなると、その後の人生というのはコンクリート詰したもう一人の自分の影を払拭しようとして、走り続けることになります。
脇目を振らずに難関突破を目指してみたり、自分で自分に都合のいいことを言い聞かせしたりして、海底の様子を忘れるのです。
ところがどれほどあの惨めな子から離れたと思っても、実は背中のすぐ近くにいて本人の人生を操ってくるのです。
理不尽な目にばかり遭って見たり、何を手に入れたとしてもすぐに満たされない状態に逆戻りすることになったりするのです。
そんなことを繰り返して、ようやく自分の片割れに意識を向けなければもうどうにもならないということに気づくのです。
コンクリート詰になった片割れを救い出して、陽の光を浴びせてあげることができたら、すっかり忘れていたあの無邪気な心地よさが戻ってくるはずですね。