1日のどこかで、osho の言葉に触れるようにしていると、その瞬間ああ何て気持ちいいんだろうと思うのです。
そうだった、そうだったと我に帰るのですが、早い時にはその数十秒後には自我に占領されてしまって、osho の言葉を忘れるのです。
その時の言いっぷりは、だってoshoの言うように生きたとしたら、ここまで生きて来れなかったと思うよ。自分のやり方でなんとかここまで生きてきた。
つまり、自分には実績があると叫んでいるのがいるのです。ただ残念なのは、生きては来れたけれど、その結果はあまり喜べないようなもの。
自分は損しないためにはどうすればいいか?あるいは、人生の落伍者と言われないためにはどのように振る舞ったらいいのか?
こうしたことが頭をもたげてくるのです。私の内面は、いつもosho 側に立っている部分と、自我そのものの部分とに分かれています。
両者のせめぎ合いといっても、もっと正確に言えば自我側が勝手に戦いを挑んでいるだけで、自分の本質と戦うなんてできないのは分かっているのですけどね。
そんなこんなで自我が観念するまでには、もう少し時間がかかるようです。それはそれで面白いので、ことの顛末を見守っていこうと思う今日この頃です。