時空は幻想

いつものように次の osho の言葉にハートを委ねてみましょう。

生はひとつの川だ
ひとつの流れ、連続体だ
始まりも終わりもない
それはどこへ向かっているのでもない
それはつねにここにある
それはどこかからほかのどこかへ向かっているのではない
それはつねにここからここへと動いている
生にとって唯一の時はいまであり
唯一の場所はここなのだ

厳密な言葉の意味を捉えるというよりも、そのフレーバーを飲み込むようにするだけでもいいと思います。

じっくり深く感じてみれば少しずつ見えてくるものがあります。私の自我がこれに対して反応をしているのが分かります。

始まりも終わりもないのは気持ち悪い。時間的にも空間的にも広がりがないのも息が詰まる感じがすると。

確かに自我は動き回る時間的空間的スペースが必要なのですね。なぜなら、自我自体が思考で作られているからです。

思考を落とせば、時間の流れなどないし、空間の広がりもないということです。「今」というのは時間ではないし、「ここ」というのも場所ではないということ。

思考がなくなれば、あらゆる概念、観念や意味の全てが一瞬で消滅してしまいます。それは何とも清々しい感じがして、春の到来を感じるあの軽やかさとも近い気がしますね。